多様な価値観が交わる職場で活かす誠実な自己表現の技術:アサーション入門
はじめに:多様性の中で感じるコミュニケーションの難しさ
近年、働き方の多様化が進み、職場には様々な世代、価値観、経験を持つ人々が集まるようになりました。これは組織にとって大きな強みとなる一方で、意見の食い違いやコミュニケーションにおける摩擦を生む要因にもなり得ます。例えば、ある働き方や価値観が当たり前だと思っていたことでも、他の人にとってはそうではないという場面に遭遇し、どのように対応すれば良いのか戸惑うことがあるかもしれません。自分の意見を伝えたいけれど、相手を不快にさせたくない、波風を立てたくないという気持ちから、結局何も言えずに飲み込んでしまったり、反対に感情的になってしまったりすることもあるでしょう。
この記事では、こうした多様な価値観が交わる環境で、自分自身を尊重しつつ、相手との良好な関係を維持するためのコミュニケーション手法である「アサーション」についてご紹介します。アサーションは、一方的な自己主張や我慢とは異なる、誠実で建設的な自己表現の技術です。この技術を学ぶことで、職場における多様性との向き合い方が変わり、より円滑で健全な人間関係を築くための一助となることを目指します。
アサーションとは:誠実な自己表現の定義
アサーション(Assertion)とは、「自分自身を大切にしつつ、相手のことも同様に大切にしながら、自分の気持ちや考え、要求などを率直かつ誠実に表現するコミュニケーションスキル」と定義されます。これは、単に自分の意見を押し通す「攻撃的なコミュニケーション」とも、自分の気持ちを抑え込んで相手に合わせてしまう「非主張的なコミュニケーション(ノン・アサーション)」とも異なります。
- 非主張的なコミュニケーション(ノン・アサーション): 自分の気持ちや意見を表現せず、相手に合わせたり我慢したりする傾向。自分の権利を無視しがちですが、表面的な衝突は避けることができます。しかし、不満が蓄積したり、相手に意図が正確に伝わらなかったりする問題があります。
- 攻撃的なコミュニケーション(アグレッシブ): 自分の意見や要求を一方的に主張し、相手の気持ちや権利を無視する傾向。一時的に自分の要求を通せるかもしれませんが、相手との関係性を損ない、反発を招きやすくなります。
- アサーション: 自分の権利と相手の権利を尊重しながら、自分の気持ちや考えを正直に伝えます。意見の相違がある場合でも、対話を通じて解決策を探ろうとします。関係性を維持しながら、双方にとってより良い結果を目指すことができます。
多様な価値観が存在する職場では、それぞれの価値観や意見を尊重し合うことが不可欠です。アサーションは、自分自身の立ち位置を明確にしながらも、相手との間に不要な壁を作らず、相互理解を深めるための有効な手段となります。
なぜ多様な職場でアサーションが重要なのか
多様な働き方や価値観は、イノベーションの源泉であり、組織に新たな視点をもたらします。しかし、その違いから生じる誤解や摩擦は、生産性の低下や人間関係の悪化を招く可能性があります。
このような環境でアサーションが重要となる理由はいくつかあります。
- 相互理解の促進: 自分の考えや感情を誠実に伝えることで、相手はあなたの内面をより深く理解することができます。同時に、相手のアサーションを受け止めることで、相手の価値観や立場への理解も深まります。
- 対立の予防と解消: 早期に自分の懸念や要望を適切に伝えることで、小さな問題が大きくなるのを防ぐことができます。また、意見が衝突した場合でも、感情的にならずに論理的かつ誠実に話し合うことで、建設的な解決策を見出しやすくなります。
- 心理的安全性の向上: 誰もが自分の意見や懸念を安心して表明できる環境は、心理的安全性が高い職場です。アサーションを実践する人が増えることで、組織全体の心理的安全性の向上につながり、率直なフィードバックやアイデア交換が促進されます。
- 健全な人間関係の構築: 互いの意見や感情を尊重し合うコミュニケーションは、信頼関係の構築に不可欠です。アサーションは、相手を操作したり支配したりすることなく、対等な立場で向き合うことを可能にします。
- 自己肯定感の向上: 自分の気持ちや意見を適切に表現できることは、自己肯定感を高めます。多様な価値観の中で自分の立ち位置を確立し、自信を持って働くことにつながります。
特に、世代間や部署間、あるいは異なる雇用形態の人々の間で生じる価値観のギャップに対して、アサーションは有効な橋渡しとなります。「なぜこの人はこのような考え方をするのだろう?」と感じたときに、非難するのではなく、「私はこのように感じています」「私はこう考えています」と誠実に伝えることから対話が始まります。
アサーションの基本的な考え方と「アサーティブ権」
アサーションの根底には、「すべての人にはアサーティブである権利がある」という考え方があります。これは「アサーティブ権」と呼ばれることもあります。代表的なアサーティブ権には以下のようなものがあります。
- 自分の意見、感情、信念を表現する権利
- 要求したり、断ったりする権利
- 自分のニーズを優先する権利(ただし他者を傷つけない範囲で)
- 考えを変える権利
- 「分からない」と言う権利
- 間違いを犯す権利
- 他者から尊重される権利
これらの権利を自分自身に許し、同時に相手にも同じ権利があることを認識することが、アサーションの出発点となります。自分の意見を言うことは、わがままや自己中心的であることと同義ではなく、むしろ健全な人間関係を築く上での基本的な権利であるという理解が重要です。
アサーションの実践:具体的な表現方法
アサーションを実践するための具体的な方法論はいくつか存在しますが、ここでは広く知られている「DESC法」を例にご紹介します。DESC法は、状況を客観的に伝え、自分の気持ちや影響を表現し、具体的な要求や提案を行い、その結果を伝えるという流れで構成されます。
- D (Describe): 状況や相手の行動を、評価や非難を交えずに、客観的かつ具体的に描写します。「〜という時」「〜という状況で」のように事実を述べます。
- 例:「〇〇さんが締切日を過ぎて資料を提出されたことが〇回ありました。」
- E (Express): その状況に対する自分自身の感情や考えを正直に表現します。「私は〜と感じています」「私は〜と考えます」のように「Iメッセージ」で伝えます。
- 例:「そのため、私はプロジェクトの進捗が遅れるのではないかと心配しています。」
- S (Specify): 相手に具体的にどうして欲しいのか、あるいは問題解決のために何を提案したいのかを明確に伝えます。実行可能で前向きな代替案を含めるとより効果的です。
- 例:「今後、締切日までに提出していただくか、間に合わない場合は事前にご相談いただけると助かります。」
- C (Consequence): 相手がSで伝えた行動をとった場合(あるいはとらなかった場合)の結果(自分やチームにとっての良い影響・悪い影響)を伝えます。脅しではなく、協力によるポジティブな結果を強調することが望ましいです。
- 例:「そうしていただけると、私たちがスムーズに次の工程に進むことができ、プロジェクト全体の進行が安定します。」
DESC法を用いることで、感情的に伝えるのではなく、論理的かつ誠実に自分の状況や要望を伝えることができます。ただし、常にこのフレームワークに厳密に従う必要はありません。重要なのは、D→E→Sの流れで「事実→感情・意見→要望」を丁寧に伝えるという考え方です。
また、「〜してくれませんか?」のような依頼だけでなく、「〜について、私はこう考えているのですが、あなたはどう思われますか?」のように、相手の意見を聞く姿勢を示すこともアサーションの一環です。
アサーションを実践する上でのポイントと心理学的側面
アサーションは、一度学んだらすぐに完璧にできるものではありません。日々のコミュニケーションの中で意識し、練習を重ねることが重要です。
- 小さなことから始める: まずは、職場での些細な依頼や断りからアサーションを試みてみましょう。例えば、頼まれた仕事を断るのが苦手なら、「申し訳ありませんが、今抱えている業務の関係で、〇〇(期日)までは難しいです。それ以降であれば対応可能です。」のように代替案を示しながら断る練習をします。
- 非言語コミュニケーションも意識する: 話す内容だけでなく、表情、声のトーン、視線、姿勢などもアサーティブであるかに関わります。落ち着いた声で、相手の目を見て話すことで、誠実さが伝わりやすくなります。
- 相手の反応を予測し、受け止める準備をする: アサーティブに伝えたとしても、相手が必ずしも期待通りに反応するとは限りません。相手の反論や異なる意見にも耳を傾け、対話を続ける姿勢が大切です。
- 完璧主義にならない: 全ての場面で理想的なアサーションができるわけではありません。たとえ上手くいかなくても、自分を責めすぎず、次に活かすことを考えましょう。
- 自己肯定感を高める: 自分の意見や感情には価値がある、という自己肯定感はアサーションの土台となります。日頃から、自分の頑張りを認めたり、小さな成功体験を積み重ねたりすることが有効です。心理学的に、自己肯定感が高い人は、他者との関係性において健康的で対等なコミュニケーションを築きやすい傾向があります。
まとめ:多様性の中での成長を目指して
働き方の多様化は、私たちに新たなチャレンジをもたらしますが、同時に自己成長のための貴重な機会でもあります。異なる価値観を持つ人々と円滑に関わり、意見の対立を乗り越えることは、より良い職場環境を作るだけでなく、自身のコミュニケーションスキルや人間関係構築能力を高めることにもつながります。
アサーションは、多様な環境で自分らしさを失わずに、他者との関係性を大切にするための強力なツールです。すぐに全ての場面で理想通りに実践することは難しいかもしれませんが、意識することで少しずつ変化を感じられるはずです。
この記事でご紹介したアサーションの基本的な考え方や手法が、多様な価値観の中であなたが自分らしく、そして周囲と協調しながら働くための一助となれば幸いです。誠実な自己表現を通じて、より建設的な対話を増やし、互いを尊重し合える関係性を築いていきましょう。